可哀相なん?
2005年6月1日よく可哀相な人を見て「可哀相」と人は言うけど
先日、友人のサイトで、PTAの代表者から行事に親が参加できない事に対して子供が可哀相じゃないか
と言われて、すごく憤りを感じたとかそういう発言が書いて有ったのです。
さて、私はそれを読んで1行目を思ったんですが・・・
他人を可哀相という人は、本当は、それを可哀相がっている自分が居るんだから
他人も同じ考えであるはずだと思っているのでしょう。
「私が可哀相がってるのよ?なんでこの人は可哀相と思わないのかしら?フツー可哀相じゃん?」とか
皆が皆同列で無いと気が済まないんでしょう
参観日には父母がこなきゃ、あ〜あの家の子は大切な時にもほったらかしで可哀相だわ〜
母子家庭ならやっぱり片親になんかなっちゃって可哀相な子、たぶんグレる(死語)わね〜
果ては運動会で順位を決めちゃ負けた子が可哀相だし、勝っても仲間はずれにされるかも知れんから可哀相
さて、ここで不思議なのだが
可哀相かどうかを感じるのは自分であって他人では無い筈なのだが、他人が自分の事を可哀相に思ってると
自分が気付いてないだけで、本当は可哀相なんではないかと思ってしまう
他人を可哀相と感じてしまう人間は、自分が一段上に居ないと気が済まないのではないか?
というより、自分より劣る存在、保護すべき存在が居なければ、そういう人間は満足しないのではないか?
そうすれば自分は保護者、いいヤツだ、少なくとも保護してる可哀相なヤツよりは恵まれてる
こういう風に感じたいのかもしれない
子供は特に顕著じゃないですか?親も含め周りががさも当たり前の様に「あの子は可哀相な子」って教える
大人が真実を教えてるとは限らないけど、他に信頼に足るモノが無いのだから、彼らにとってそれは真実
誰かに可哀相を押し付けて、可哀相という存在に仕立て上げようとする、逆に仕立て上げられた方も
皆があんまり可哀相と言うもんだから、やっぱそうなのかなぁ・・・なんて思っちゃう
つまりは「私」が中心なのですよ
「私」より貧乏なやつ、「私」よりバカなやつ、「私」より可哀相なヤツ
「私」を保護するために「私」より劣るとされている存在を捏造しようと躍起なんです
しかもこういう人間に限って、そういうことに長けていたりするから始末が悪い
そして往々にして、そういう人間は面倒見が良くみられる、実際は自分が陥れたんだから
面倒見が良くてあたりまえ、「私」という存在を満足させるために必要な「スケープゴート」なんだから
最終的に手が付けられないほど、誰が見ても可哀相な存在になったらバッサリ切り捨てる
「ホント可哀相なヒトなんですけどね〜私も助けたんですが、こればっかりは本人の決める事なんで」
こう言えば、自分はやるべき事をやった「いいヒト」なので、次の可哀相なヒトを作れば良いだけ
こんな人間に引っかかるほうも悪いので、私はそういう可哀相なヒトを助けたりはしない
本当に自らが可哀相かどうか判断できないのなら、既に助ける余地は無い、あとは落ちるだけ
まぁこんなことを考えてる「私」も、この意見を誰かに押し付けたくってしょうがないのですがね
賛同するヤツは「可哀相なヒト」か「あのヒトは可哀相らしい」と思わされた隣人のどちらかだ
こう言うことを自虐的に言う自分を、自分で客観的に見て「こいつ痛い」って悦に浸ってるんでしょうな〜
私ってやなヤツですね<とコレにも裏があるのかも知れない
ちなみにコレは日記のはずだが、そんな事はどうでもいい
私が私の思いついたときに思いついたことを好きなように書く勝手気ままな場所だ
文章や内容が破綻してようが差別発言があろうがお構いなし、文句があるならかかって来いって感じだ
まぁ無理矢理纏めるなら、真実は自分の中にあるって事
先日、友人のサイトで、PTAの代表者から行事に親が参加できない事に対して子供が可哀相じゃないか
と言われて、すごく憤りを感じたとかそういう発言が書いて有ったのです。
さて、私はそれを読んで1行目を思ったんですが・・・
他人を可哀相という人は、本当は、それを可哀相がっている自分が居るんだから
他人も同じ考えであるはずだと思っているのでしょう。
「私が可哀相がってるのよ?なんでこの人は可哀相と思わないのかしら?フツー可哀相じゃん?」とか
皆が皆同列で無いと気が済まないんでしょう
参観日には父母がこなきゃ、あ〜あの家の子は大切な時にもほったらかしで可哀相だわ〜
母子家庭ならやっぱり片親になんかなっちゃって可哀相な子、たぶんグレる(死語)わね〜
果ては運動会で順位を決めちゃ負けた子が可哀相だし、勝っても仲間はずれにされるかも知れんから可哀相
さて、ここで不思議なのだが
可哀相かどうかを感じるのは自分であって他人では無い筈なのだが、他人が自分の事を可哀相に思ってると
自分が気付いてないだけで、本当は可哀相なんではないかと思ってしまう
他人を可哀相と感じてしまう人間は、自分が一段上に居ないと気が済まないのではないか?
というより、自分より劣る存在、保護すべき存在が居なければ、そういう人間は満足しないのではないか?
そうすれば自分は保護者、いいヤツだ、少なくとも保護してる可哀相なヤツよりは恵まれてる
こういう風に感じたいのかもしれない
子供は特に顕著じゃないですか?親も含め周りががさも当たり前の様に「あの子は可哀相な子」って教える
大人が真実を教えてるとは限らないけど、他に信頼に足るモノが無いのだから、彼らにとってそれは真実
誰かに可哀相を押し付けて、可哀相という存在に仕立て上げようとする、逆に仕立て上げられた方も
皆があんまり可哀相と言うもんだから、やっぱそうなのかなぁ・・・なんて思っちゃう
つまりは「私」が中心なのですよ
「私」より貧乏なやつ、「私」よりバカなやつ、「私」より可哀相なヤツ
「私」を保護するために「私」より劣るとされている存在を捏造しようと躍起なんです
しかもこういう人間に限って、そういうことに長けていたりするから始末が悪い
そして往々にして、そういう人間は面倒見が良くみられる、実際は自分が陥れたんだから
面倒見が良くてあたりまえ、「私」という存在を満足させるために必要な「スケープゴート」なんだから
最終的に手が付けられないほど、誰が見ても可哀相な存在になったらバッサリ切り捨てる
「ホント可哀相なヒトなんですけどね〜私も助けたんですが、こればっかりは本人の決める事なんで」
こう言えば、自分はやるべき事をやった「いいヒト」なので、次の可哀相なヒトを作れば良いだけ
こんな人間に引っかかるほうも悪いので、私はそういう可哀相なヒトを助けたりはしない
本当に自らが可哀相かどうか判断できないのなら、既に助ける余地は無い、あとは落ちるだけ
まぁこんなことを考えてる「私」も、この意見を誰かに押し付けたくってしょうがないのですがね
賛同するヤツは「可哀相なヒト」か「あのヒトは可哀相らしい」と思わされた隣人のどちらかだ
こう言うことを自虐的に言う自分を、自分で客観的に見て「こいつ痛い」って悦に浸ってるんでしょうな〜
私ってやなヤツですね<とコレにも裏があるのかも知れない
ちなみにコレは日記のはずだが、そんな事はどうでもいい
私が私の思いついたときに思いついたことを好きなように書く勝手気ままな場所だ
文章や内容が破綻してようが差別発言があろうがお構いなし、文句があるならかかって来いって感じだ
まぁ無理矢理纏めるなら、真実は自分の中にあるって事
コメント